※碇くんが集団強姦されています






碇の異変に流智が気付いたのは、その日いくつかの収録が終わった後だった。
最初の収録で小さなミスをした流智は、ああこれは後でチクチク言われるんだろうな。と思って居たのだが、楽屋に戻った碇は、流智をイジるでも彼方や土門と話すでもなく、鏡の前にある椅子に腰掛けると、鏡を見ているとは思い難い遠い目で、鏡を見詰めていた。
その時はまだ、つっかかって来ないと言う事に拍子抜けはしても、必ずしも毎回そうだったわけでもなかったため、流智は何も思わなかった。
珍しい、と思ったのは、缶コーヒーを買ってこいと命令した時だ。
指定と違うものを買ってくるのは目に見えているだけに、最近はもう適当な頼み方をしていたのだが、碇は指定通り、ミルクたっぷりと書かれたカフェオレを買ってきた。
のみならず、買い直して来いと言った事に、一つも憎まれ口を吐かず素直に従ったのだ。
流智が、やっぱこっち。と、碇が飲んでいたカフェオレを奪うも、困ったように笑っただけで、ブログを更新する仕事をしていた。
その後も、本番中にグラドルを見るでもなくぼんやりしたり、また流智を流してあしらったりするばかりで、碇は心ここに在らずと言う言葉のまんま、抜け殻のようだった。

「テメー、オレ様をバカにしてんのか」
「…え?」

不自然な気がして、気持ちが悪くてたまらなかった。が、流智は口に出してから気付く。
バカにしているのは、いつもの事で、今がむしろ普通なのだ。
気付いた時にはもちろん遅く、碇は嫌な顔をするでもなく、くすくすと笑う。
流智は違和感を感じながらも、思わず顔が赤くなった。

「流智くん、どうしたの」
「どうしたのって、こっちのセリフだ」
「……どうして?」

碇の顔が強ばったのを、流智は見逃さなかった。
何年一緒にいたと思ってるのか。演技が上手くなったとしても、誤魔化されない自信がある。

「さっきの衣装替えの時、腕に痣があったのが見えた。それから足も、怪我してるよな」
「…ああ、ちょっと転んじゃって」
「気をつけろよ、お前だけの身体じゃねえんだから」

もちろん、仕事道具だから。と言う意味でなのだが、何がおかしいのか、碇はまた笑うと、ありがとう。と言った。
あまりにも素直で、なんとなくむず痒くなった流智は、丁度田中が二人を呼ぶ声がした後、行くぞ。と言って、碇の肩を軽く叩いた。
ぽん、と乗せるくらいの柔らかさだった。

「やだ…っ!」

ビクッと身体を退けた碇は、ひどく怯えた顔をした後、はっとして、流智に頭を下げた。
ごめん。と、のどの奥から絞り出すように吐かれた声は掠れて、震えていた。
普通じゃないのは明らかで、流智は走るようにこの場から逃げようとした碇の腕を掴み、阻止する。

初めて見る顔だった。
そういえば、この日初めて目が合った。それなのに、どこか拒絶を感じる。
呆気に取られた隙に碇の腕は、するりと抜け出し去って行った。追うに追えず、流智はようやく移動車に乗り込んだ時、田中に怒られるも、頭がついて行かないままで生返事を返す。
既に彼方と、いつも通りじゃれだしていた碇に、また困惑した。

もう、何もかも知っているつもりだった。
言いそうな事、やりそうな事、考えそうな事。しぐさや、表情、黒子のある場所すらも。
知らなかった事に対する動揺と同時に、知っている事で満たされていた事に気付いた。幾度触れたかも知れない肩でさえ別人のようで、二度目を躊躇ってしまった。

流智は携帯から、メールを打つ。一言、仕事終わりの予定をうかがう内容。返信は直ぐに着た。
今日は無理です。その一言だった。
そうして流智が妙に避けられたまま、1日が過ぎた。
それでも、彼方や土門や田中に笑い掛ける碇を見るだけ、マシにはなった。

しかし、翌日も碇の流智に対する態度は、さほど変わる事もなく。
この日は午前にレッスン、午後からラジオ収録1本と、雑誌の撮影が1つ。
早く済んだ為、流智は碇をご飯に誘った。

「もう彼方くんと約束してたんで、無理です」
「はあ?オレ様が誘ってやってんのに続けて断るなんて何様だよ」
「……流智くんが何様ですか」
「あ?」
「…わかりました、断って来ます。その代わり、流智くんの奢りだからね」
「…ああ」

トゲのある言葉にホッとするなんて、マゾじゃあるまいし。そう思いながらも、流智は少し安堵していた。
電車に乗り、流智宅の最寄り駅。
碇は、疑わしい目を向けたが、前を行く流智が気付く訳もなく、連れてきたのは、そこから近いファーストフード店で、いつだったか前にも二人で来た事があった場所だ。
丁度、学生が多い時間帯で、遠くからきゃあきゃあと二人に気付いた黄色い声がする。
テイクアウトで。と言った流智は、見上げてくる碇に、うるせぇから家で食うんだよ。と、小さな声で囁いた。
碇は、珍しい。と思った。
知名度が上がってからと言うもの、流智はその声を、やれやれと言うようにうるさいとは言っても、邪魔だからうるさいとは言った事がなかったのだ。
そして、購入したものを、流智が持つ事も。

流智は碇を自宅に招き入れた。
それまでの距離を徒歩で向かったのに、二人は大して話もしなかった。いつもの様に、先を歩く流智の後ろを碇が1、2歩離れてて歩く事も同じだった。
ワンルームの部屋。
一人暮らしをしている流智の部屋は、物が少な過ぎるくらいで、きれいに拭かれたガラスのテーブルにビニール袋を置いた。
中身を取り出す流智を横目に、碇は対面しないよう右側に座り込む。
差し出されたハンバーガーとジュースを受け取り、いただきます。と言って口に運んだ。流智はその動作をじっ、と見詰める。

「……流智くんも食べて下さいよ」

ハンバーガーにかぶりついて、唇の端についたソースを舐め取ると、碇は眉をひそめ、ぴしゃりと言った。見られていては食べにくい。
指摘されてようやく思い出したように、流智は飲み物を口にした。
それから二人で黙々と食べ進め、落ち着いた頃、流智が再び碇に視線を送るも、碇は不自然なくらい静かにポテトを食べている。

「やっぱお前オレの事、無視してるよな」
「……してませんよ」

碇が躊躇いながらもゆっくりと視線を上げるまでのほとんど一瞬で、静かに距離を縮めていた流智の顔が近くにあり、視線が絡んだと同じくらいに額がくっついた。
碇は慌てて目線を伏せて反らす。游いだ目を追わない変わりに、流智は碇に口付けた。
肩が小さく跳ねる。きゅ、と結ばれた唇を舐めても、開く事はなく塩の味がするだけ。抵抗する為に伸ばされたであろう碇の手は、小さく震えながら流智の胸元に寄り添っただけだった。

「今日は、そういう気分じゃないです」

唇が解放され、うつ向いた碇はようやく、小さな力で流智の押し退けようとした。
震える手で抵抗が出来るはずもなく、流智は碇の丸い頭を掴んで自身の胸元へ引き寄せると、背中から手を入れる。

「…却下」
「流智くん、…っやだ、」

いつものすべすべした触り心地とは違う感覚が指先にあり、不自然なそこを撫でると碇がビクッと跳ねる。
先ほどよりずっと大きな力でもがいた碇が、流智の腕から抜け出した。

「帰ります、ご馳走様でした!」

碇は荒々しく息を吐いて立ち上がり、持ってきたかばんを掴んだ。
早足で一歩、踏み出そうとすると腕が掴まり、ぐん、と強い力で引き寄せられる。安定がなくなった体は飛ぶようにしながら、ベッドのスプリングに受け止められた。

「いっ…!」
「行かせねえよ」

ベッドに落ちた碇を逃がさぬよう、手首を抑えつけ流智がおおい被さる。
逃げる前、一瞬見えたように思えた瞳はやはり若干滲んでいたが、睨むだろうと予想していた碇の表情は、心痛なものだった。

「なんか隠してるだろ」
「…隠してちゃだめなんですか?」

昨日のように、声までも震えている。
違うのは、何かが吹っ切れたのか、余りに余裕がないのか、普段よりずっと投げやりな口調だ。

「僕だって話したくない、触れて貰いたくない事があるんです!なんでもかんでも従うと思わないでください!僕は流智くんの奴隷でも、オモチャでもな…うぐ、はっ、ん」

耳に響く声が、痛々しかった。捲し立てる碇の口を塞ぐよう強引に口づけるも、首を振って逃げられる。
それを追うようにまた噛むように口づけても、再び閉じられた唇。
嫌がっているのは目に見えて、初めからわかっていたが、不自然すぎると思うと気持ちが収まらなかった。

抑えつけていた両手を頭上にまとめる。細い手首は二つでも簡単に抑え込めた。
何か隠しているならこの下だろう。着ていたニットを捲りあげるよう腕を忍ばせる、碇はまた抵抗しようとするだろう、流智はそう思っていた。

「もう、やめてよ…流智くん、お願い」
「…なんなんだよ」

噛み締めた唇から発せられる声は、ひどく弱々しく、流智が聞いた事もないようなものだった。
涙が溢れる寸前の瞳が、流智をじっと見つめる。やっと見たと思った瞬間、瞬きと共にぽろりと一筋、頬を伝った。

泣いた顔を見られたくないのか、顔を反らす碇を、流智は見下ろす。
額から手のひらで髪を撫でた。目尻に触れた、親指の先が濡れる。触れているのは碇の筈なのに、違うものに感じるのは前に感じた違和感と似ていたが、胸がざわざわと騒ぐわけではなく、こんな状況なのにと思いながら、流智はホッとしていた。

「きたない、んです」
「……は?」
「洗っても、洗っても洗っても、取れない気がして」

口を開いた碇の声は、またどこか悲痛なもので、流智は眉を寄せた。
汚い。レッスンのあと、碇は確か、シャワーを浴びた筈で、性格の話なら、今更だ。

「どこ?」
「流智くん、汚いの、嫌でしょ。だから今日は…」
「…見ないとわかんねーだろ」
「……でも、やだ」

ニットを捲り、シャツのボタンに手を掛けた。
ふるふると首を振る碇の頬に、手を添えて止める。キスされるのだろうと思った碇は、またかたく口を結んだ。
先ほどよりも、ずっと優しく唇が触れた。
固められた手首。むちゃくちゃで自分勝手だけど、無理矢理にひどくされた事なんかなかった事を思い出した。
ぷつ、とボタンが外れさる、見たら諦めてくれるだろうと思い、目を開く。見慣れた長いまつ毛が伏せられている。胸をなでおろすような気持ちが、視界と共に滲んだ気がした。やっぱり見られたくはなかった。

「……なんだよ、これ」

シャツを開き、また捲りあげたタンクトップの下。
白い肌にいくつかの、かさぶたになった傷跡と、青紫色の痣、ところどころ赤くなった肌が露になる。
流智は少しの間、言葉を失った。

「汚れが取れなくて、ずっとタオルで擦ってたら、赤くなっちゃって」
「汚れって、これは傷だろ?そんな事して痕になったらどうすんだよ」
「見えないけど、汚いのが付いたんです、まだ落ちないんです、少しも…!」

それほど見られたくなかったのか、徐々にヒステリックになっていく声。こんな声を出す事があるのかと、流智は思った。
抑えつけた手に力がなくなっている事に気付き、片方だけ手を滑らせて、指を絡めるように握り締めた。
また涙で滲む瞳が、まっすぐ流智を見上げる。吸い込まれるようだった。たったそれだけの事なのに、胸が締め付けられる。ずっと見ていたら、自分まで泣きそうだと思った。

「…転んだって嘘だろ」

慰めるよう、目尻に唇を寄せる。
いつも、こんな事をすれば涙目なりながらも、それカッコイイと思ってるんですか。などと言ってくる碇は、そうも言わず、また目を反らした。

「殴られたか蹴られたかしたんだろ?ならそう言えよ」
「…違います」
「どいつだよ、事務所は?同じだったら明日オレ様が絞めてやる」
「違いますってば!」

急に張り上げられた声に、流智は驚き、ビクッと体を揺らした。引金になってしまったらしい。

「流智くんのバカ、ほんとバカ、なんでそんなにバカなんですか」

嗚咽混じり、しゃくり上げながら碇は乱暴に吐きかけた。
それから枷が外れてしまったように、目からはぼろぼろと涙が溢れ出し、わんわんと子供のように泣きじゃくり始める。
手を開放させると、それはすぐに目元を拭い、顔を隠した。
バカだなどと言われたのに、流智は返す言葉が浮かばなかった。代わりに碇を抱きしめるようにしながら、一緒にベッドに沈んだ。

どうすればいいのか。抱きしめる腕に力を込める。それから思い出したように、頭を撫でると、碇は顔を流智の胸に押しつけた。
お気に入りのシャツが濡れる、なんて事は浮かばなかった。それからあやすように背中を撫でる。
泣き止まないかと、必死だった。静かになったと気がついた時には、碇は大人しく鼻をすすっていた。

「……これから喋るのは、独り言ですから」

まだ鼻声で、碇はポツリと呟いた。
流智が、ああ。と返事をすると、独り言ですからね。と念をおされる。返事をする代わりに、髪を撫でた。触りなれたそれは、いつものようにするりと指の間を抜ける。何故か、ホッとした。

「一昨日、帰りに一人で買い物してたんです」

4人は移動車でまとめて送られる事が多いのだが、一昨日、彼方を除く3人は夕方にはすべての仕事が終わり、買い物がしたいと言う碇は、流智と土門と共に帰らなかった。
だからそれは流智も知っている。

「近道通ったところで、男に肩がぶつかって…謝ったけど聞いてくれなくて…。
走って逃げようと思ったら、他にも連れがいたみたいで、逃げられなくて…そのまま、路地裏に連れて行かれた。
お腹、蹴られて、顔も殴られかけた。…か、顔はやめてって言ったら…、向こう一人が、僕だって気付いて、服、ちょっと破れて…脱がされて……写真、撮られた。それから……それから…」

のどにつっかかった言葉で圧迫された息が、はあ、と言葉にならず漏れる。何度もそこで止まり、その先が出ない。ようやく出たのは、写真は消して貰ったから流出しないと思います大丈夫です。その言葉だった。
流智は、大人しくそれを聞いていた。否、大人しく聞く以外出来なかった。なんとなく先が想像つく。汚いと言った理由、話したくはなかったはずだ。
なのに、碇はそれ口にしようとしている。話す事で嫌な思い出が浄化されるならいい。でも、まだ言えないなら、無理に話す必要はないだろう。
その意味も込めて、ぐ、と抱きしめる腕に力を込めると、碇が流智のシャツを握りしめた。

「バカはオメーだろ」
「……はい…?」
「独り言」

性欲を処理するだけの関係。肉体だけの繋がり。
汚れようがどうなろうが、最初からきれいな関係ではなかったはずだ。
それを、なにを今更。

「最初からきれいなもんなんか望んでねーよ」

それでも、流智はやはり腹がたった。碇が黙っていた事より、碇に触れたやつらにだ。
低くなりそうな声を、そうならないように願う。
腕の力を緩めると、自然に距離が開いた。泣いた所為で真っ赤な目。流智くん、そう言い掛けた唇を、同じもので塞いだ。

碇は気付いているだろうか、と考えたが、自分すらこの数日で気付いた事だから、気付いていないだろうとも思った。
以前よりずっと、キスの回が増えたこと。
それはたぶん、碇に他人が触れた事へのむしゃくしゃする気持ちと、同じ原因なはずだ。と、流智は思う。
出来れば、こんな事をきっかけに、気付きたくはなかった。

上半身でのしかかるようにしながら、確かめ探るように碇の身体を撫でる。
また拒むように流智の肩を押していた手が、諦めに近いかたちで、するりと首に回った。
手のひらに良く馴染んだはずの肌。触れれば傷が浮かぶものの、体温は碇のもので安心する。
碇の頬を唇がかすめ、耳元にとまる。

「もっと汚れたら、んなもん気にならなくなるだろ」
「……僕、ゆるくなったかもよ」

碇は自嘲するように、小さく笑った。ような気がした。
やはりこいつは、大概バカだ。と流智は思う。声が震えている事には、気付かないふりをした。
黙って大人しくしてろ。そう言えば、碇は肩口に顔をすり付けるようにしながら、大人しく頷いた。
その中で、唇が小さく、何度か開いては閉じる。声になっていない言葉を口にした。
なんなのかと顔をしかめた流智に、碇はいつものいじらしい笑顔で首を横に振った。




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