気が付けば目で追っていた、必要以上に整ったその顔を、綺麗な物だとは未だ認識したくなかった。

目の前で不満気に、くるりと指に絡ませた白髪のふわふわした触感も、雨の日にはハードワックスでバリバリに固められる。
濡れた革靴の手入れだとか、制服の裾だとか、傘を持つのが面倒だとか、
そんな事よりも、そんな彼奴の柔らかい髪を見て居られないから、雨の日が嫌いになったなんて言うのも、認めたくはなかった。

それを肯定した処で、どうせ先は見えていた。
手を握り、手のひらを合わせた処で、染み込むように心が伝わる筈なんかない事も。

そんな顔で、この僕に対等に並べるとでも?そう、脳内で彼奴の物に変換し再生された、
言われた事も無い言葉の声色は、人格が変わった時の物だったが、そうは言っても、
きっと普段もそう思っているから出るのだ。あの尖った言葉の欠片は。


「河野くん?」


突然呼ばれた自分の名前に、どきりとする。
そちらを向けば、脳内を巣食っていた張本人で、部室に居た事を思い出した。
ス、と伸びて来た白く長い指が俺の眉間に触れ、真道市は眼を細めて、ふっ、と笑う。


「凄い事なってるよ」
「ほっとけ」


その手を叩くように払えば、真道市は払われた自分の手を見詰めた。
俺は心の奥底ではないもっと表立った処で、整った顔が歪めばいいと思った。

なのに、簡単には歪んでくれはしない。
此方を伺うその表情で、真道市が次に言うであろうセリフが、其処から吐かれる前に、今度は俺が手を伸ばす。

触れられる筈がないから、絶対に伸ばすまいとしていた手で、呆気なく阻止出来た謝罪の声。
それを聞くのは不快だと思った。

哀しげに目尻の落ちた眼に、俺だけが映っているという、幼稚な優越感を呑み込む。
触れた口唇から割り込ませた指を追って、自分ので覆った。
ぐん、と肥大した白目を、穴が開く程見詰めたら、穴が開けば良いのに。
そうしたら、俺が必死で開けた穴だって、言い触らすのを我慢して、胸の奥に秘密でしまい込むんだ。


「…、大丈夫?」


この期に及んで他人の心配か、と言うのは止めた。
何かベタな小説のようで、なし崩しで走り切ってしまいそうに思えた。
しかしそれを言わずとも、結局はこのまま自分がおかす行為と、何ら変わりはない。

余り柔らかくない、二人で掛けて居た部室のソファーの上、真道市の胸ぐらを掴み、押し倒した。
殴られると考えたらしい、真道市はぎゅっと眼をつむり、硬直している。
ああ、こいつはそういう反応も出来たのかと、思っていたら、恐る恐る開かれた灰色の目。
安堵したのか、大きく吐かれた息と、強ばった体がゆるむ。
制服越しの体温と、筋肉の質感がリアルになり、俺は唾を呑んだ。


「…僕を殴るならボディーにしてね」


いつものように、爽やかな笑みで、そう言った真道市に、緊迫感は少しも感じられず、
馬鹿馬鹿しくなりながらも、掴んだままのシャツの襟元を力任せに引けば、ブツブツとボタンが飛び散った。
小さな、悲鳴に取れる真道市の声。明らかに戸惑った眼。再度強ばる体。
何を思ったか、起き上がろうとした真道市の喉をその手で掴み、顎を上向かせる形で固定する。
外そうとする手を避ける前に、首を取った手に力を込めれば、それは爪だけが俺の手の甲に食い込んだ。
ぱくぱくと酸素を求める真道市の口。
力を緩めると、精一杯息を吸い込む真道市。
滲んで溢れた涙の所為で、長い睫毛が濡れていた。

コレを繰り返し、次第に力を無くしていく、無力な真道市の整った顔は、
涙に乱されても相変わらず綺麗で、認めるしかなくなった事にも、腹がたつ。

制服のズボンのベルトを外し始めると、真道市は首が締まるのも構わずに、下へ眼を向けた。


「…はっ、あ、こ…河野、くん?」


状況を理解したのか、止めて、止めてと、出せる限りの抵抗をしてくる憎たらしい程長い足も、大した力ではなく、
弱った人間を犯すのはこんなに簡単なのか、と思うと、少なからず罪悪感が生まれた。
ような気がする。多分、きっと。


対等になれない。
気持ちは交わる事もなく。
一方通行の平行線が安全。
完全な俺の独りよがり。
男相手に立派な強姦。
真道市はトラウマ確定。

だからそれが、どうした。



初出.080629.