・架空請求
・キミの前髪
・はだしの冬
・電波ジャック
・もしもし、うさぎさん

未満だったり、付き合ってたり。








》架空請求


「まさこちゃん、ってあれ?まさゆきくんの」
「そうそう!」

少しばかり、いやずいぶんと懐かしい名前に、数年前の、高校生だったあの頃を思い出した。
興奮気味の河野くんは、久々に再会したまさゆきくんの妹に、惚れてしまったらしい。
それで、どうしよう。なにを話したらいいだろう。
なんて、平和な悩みを僕に相談する為、電話を掛けてきたのだ。

「とりあえず、アドレス交換したらどう?」
「あ、あぁ!そう、そうだよな!」

あの頃は、眼中になかった癖に。
すっげェ可愛くなっててさぁ!なんて言う河野くんは、何だか都合が良いな。と、僕は思った。
あまりに嬉しく話すから、そんなこと言わないけど。

「退院したら、メールするんだよ」
「お、おう」
「さりげなく今の内に、退院したらご飯でも、って話題にしておくといいかも」
「がっついて思われねェかな…」
「まさゆきくんの話題なんかも出して、いかにもゆっくり昔の話でもしたい風にしたら、どうかなあ」
「そう、かぁ…。ん、」
「…メモ?」
「……今、噴いただろ」
「だって」
「そういうお前は、好きなやつ居ないの?」
「え?」
「でも芸能人なんか美人ばっかりで、目移りしそうだよなあ。羨ましいわ」

何も知らないで、そう言える河野くんが、僕には羨ましかった。変われるなら、変わりたいくらいに。
河野くんみたいに、どこかでリーマンになって、平凡過ぎるくらい平凡に。
この道を選んだのは自分だけど、プライベートなんて有ったもんじゃない。
だけどもう少ししたら、そう言うのも全部、気にしなくなれそうになる自分が居る。

みんなの真道市杖くん。
結婚したら夢がさめる、なんて謂われてしまったり、所帯染みたら嫌、なんて謂われてしまう、そんなポジションに。

「こっちの業界、多分河野くんが思ってるより華やかじゃないよ」

10分の1だって、君のイメージではないかも知れない。
そんなの、黄色い声援が浴びせられる舞台挨拶や、スタジオの照明に当たってる一瞬だけ。

「…ふぅん」

君の前の僕は、みんなの真道市杖じゃなくて、ただの友人でしょう。

「ね、メモ終わった?」
「…あ、うん」

僕は、僕はコッチの方が、居心地がいいよ。


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》キミの前髪


どんなにベストに切り揃えた前髪も、1週間も経てば毛先なんてバラバラに歪み出すし、
全体的にセットした感じさえも変わって来てしまう。
1週間。たった7日間。なんて残酷なのだろうか。
更に時間が経てば、ぼくの前髪はすぐ、ぼくの視界を邪魔するだろう。
ぼくの一部だと言うのに、なんてお行儀が悪い。
さらに目に入るなんておイタをされたら、さすがにぼくも、その日が雨ではないにしても、苛々とするものだ。
なので、ぼくは髪の毛を切る。ある意味これは、しつけなのである。
ぼくがぼくを快適に過ごすための、だらしがない前髪で誰かの気分を害さないための、マナーなのである。
前髪。女の子はそれが決まらない、と言って遅刻さえしてくる。
それ一つで、可愛ささえもが揺らぐのだ。それくらい大事な前髪。

でもぼくは、いつもベストから外れているような、失敗したカタチをしている河野くんの前髪が、すきだ。
どうしてだろう。あの不格好でいびつなカタチ。すごく癒される。
いつも失敗してるんだから、いい加減もう失敗しないように思うけど、狙っているのだろうか。
不思議な前髪だ。前から吹いてきた風で乱れすぎる事も、目に入る事も、視界を邪魔する事もないのだろう。
だからかな。そうだから和むのかな。
河野くんの前髪、侮れない。


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》はだしの冬



肌寒さも本格的になってきた、12月の始め。
この時期になると、街中は定番のクリスマスソングが流れだし、キレイなイルミネーションで飾り付けられる。

「あー、ウツだ」

河野くんが、心底嫌そうな声で言った。

「どうして」
「…どうしてって」

河野くんが、大きくため息を吐いた。

「ねぇ、河野くん知ってる?ため息吐くとねー…」
「幸せ逃げるんだろ、へいへい」
「…どうしてそんなに、やさぐれてるの」

ぼくはクスリと笑う。
そう謂う時期なのかな。
あっ、そうか。クリスマスが近いから。

日本人はほとんどが無宗教だと言いながら、どうしてこう言ったものに熱心なのだろう。
お祭り好きの精神なのだろうか。

「ため息を吐くとね、一緒にイヤなものが出ていくんだよ」
「…考えようだな」
「そろそろ、良いことがあるんじゃないかな?」

河野くんは小首をかしげた。
露出の多い眼球だけど、黒目は大きくはない。

「ぼく、24と25は暇なんだけど」

けど、どうかな。
どういう意味だか、わかるよね。
無宗教なぼくだけど。

「……オレのため」
「ううん、ぼくのため」

言ったら河野くんは、小さな声で独り言のように呟いた。

「もう少ししたら繋ぐ、か。…手」

嬉しかったら、言ってくれたらいいのに。
ぼくは言うよ、思ったら、すぐ。
じゃなきゃ後悔するかも知れないし、言ったら良い方向に行くかも知れないでしょ。

「うん、」


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》電波ジャック


テレビの中、
控え目にインタビューに答えている杖は、なんだか自分の知っている真道市杖では無いように思えた。
バラエティ番組はあまり出ないけど、まあ大概楽しそうににこにこしている。
たまにあからさまにドン引いている。
ここらへん隠しきれない辺りは、ああ杖だな。と思う。

街中に商品広告やドラマのポスターも、本当にあの杖なのか、と思う。
もう完全に、別世界の住人。改めて、きれいな容姿なんだな、と思い知らされる。

オレは芸能人と知り合いなんだぜ!なんて謂う奴を、俺は見下していた。
だって馬鹿だろ、そんなん。だから何だ、と思う。だけど、今はわかるような気がした。
元担任だった教師は、そうは思えないが。

今や、真道市杖は連ドラの主役だ。視聴率を独占しているらしい。
ゲームをやっている時の性格をあまり知らなくても、
ゲーム好きやアニメ好きを余り隠して居ないからか、オタク層にも人気はあるらしい。

俺は今、缶ビールを片手に、そんな電波に乗せられた杖を観ている。
世間は今、完全にコイツのハリウッド進出だとか、異例の大抜擢だなんて騒ぎ立て、おどらされている。
本人に会った事もない俺の職場のオフィスレディの方々までもが、
きゃあきゃあと勝手に創った真道市杖について話すくらい、一躍メジャーな存在になってきていた。

ヴウゥ、携帯のバイブが動いた。
画面を開けば、今ちょうど考えていた人物の名前が、ディスプレイに表示されている。
俺は再びテレビを見た。そのまま通話ボタンを押す。

「も、しもし」
「河野くん?」
「うん」
「良かった、お風呂入ってたらどうしようかなって…」

液晶画面の中の杖が、くしゃっと笑った。
そういえばコイツは、笑った時に眼が閉じるんだ。

「今、丁度お前が出てるテレビ見てたよ」
「えっ」
「ハリウッド決まったんだろ」

俺はまさに釘付けで、薄い液晶パネルを食い入るように見詰める。
目の前にいる時、こんなに見詰めた事なんかなかったのに。

「…うん、なんか恥ずかしいなぁ」
「良かったじゃん」

何故だろう、懐かしさとともに、いろんな感情が湧き出てくる。

「ありがとう」

特に共通の話題が有ったでもない、ただ部活が同じなだけ。
それだけで何でもなく側に居てくれた、あの頃に戻れたら、
もっとコイツなりの優しさや、あたたかさをちゃんと確かめられるのに。
薄っぺらな平面に映った杖を見詰めて、そう思った。


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》もしもし、うさぎさん。


黄色よりもピンク掛かったすべすべとした肌、白い髪、黒目がちな赤色をした目。
杖は大きなうさぎみたいだと思った。

かわいらしく例えるなら、アリスに出てくるうさぎみたいに、
俺はうさぎを追い掛けて穴に入った。下ネタじゃない。だってまだ何もして居ない。
そう言う事は極力考えないようにしていた。
夢を見たんだ。ベターに漫画みたいで、飛び起きた。
頬を濡らした杖を、俺が見下ろしている夢。お互い真っ裸の夢。
ぼやぼやしているのは、見た事のない杖の下半身ぐらい。
そこに俺の肉が、まあ、刺さっていて。
恥ずかしがりながら、噛みしめた唇の隙間から漏れる、
上擦った杖の声だけがヤケにリアルで、自分の耳は満足だと昂っている。
そんなんだから飛び起きた俺の下着は、非常に残念な事態を迎えていた。
おかげで、夢でキスした杖の唇が忘れられなくて、夢と現実の区別がつかなくなってきているのだ。

だから考えてはいけない。うさぎを追い掛けてはいけない。
大体、俺は夢はみたけど、アリス・リデルじゃない。

「どうしたの?」

不意に掛けられた声に、心臓がどくんと大きく動いた。
覗き込まれていた顔が近い。
冬のようなコントラスト、薄いピンク色をした唇に眼が行ってしまった。

結局俺は、触りたいんじゃないか。

「…何かついてる?」

無言で視線をそこに送る俺を見て、杖は自身の唇に触れた。
ふに。押されて沈んだそれは、いかにも柔らかそうで、俺は漸く杖の目を見た。
杖の小首がかしげられたついでみたいに、指先がくっついたままの唇にキスをした。
重なったまま、開いたままの目が合う。
勢いよく俺から離れた杖は、目をくりくりと見開いて何も言わず、何も言えないのだろう、俺を伺った。


「…なんか、やらかそうだったから、つい」
「…たらしみたいなセリフ、だね」

返ってきた力の抜けたような声に、なんだか笑ってしまった。
杖は怪訝な顔をする。

「…もっかいしていい?」
「えっ?!や、やだよ」

座ってたソファーに杖を倒してみたら、案外すんなり倒れてくれた。
そのまま上に被さって、顔を近付ける。
瞬時に反らされた顔を、手で無理矢理向かせた。

「ん」

はむ、と下唇をついばんで、上へ滑り、同じようにする。

「やっぱ、やらかいな」

くっつけたまま喋ったら、そこからあたたかい吐息が漏れてきて。
ふわりと杖から、色気のようなものを感じてしまった。
あ、なんか、やばい。夢とリンクするこれは、現実だと言うのに。

追い掛けるなんて生温い。
もはや、うさぎ狩り。


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up.090617/初出:失念