・夢を見ていられる時間はもう終わり ・恋が死にゆく零時五分 ・血の味はどこか甘く ・天使の輪 ・無力な腕を嘆きましょう (嘘吐きピエロ同軸) 相変わらずただれている。 》夢を見ていられる時間はもう終わり ウチの事務所のアイドル予備軍から、デビューに一番近いと言われていた人。 レッスンの先生からの評判は気持ち悪いくらいに良くて、アイドルを絵に描いたような人だと思っていた。 その流智くんと、初めて一緒に仕事をした時、僕は本当に感動した。 会うまでは。 いや、会って二人きりになるまでは。 「碇くんか、よろしくね。お互い頑張ろう」 営業用の、まさに外面。 そう分かった今でも、そう言って笑ってくれた、流智くんの笑顔が忘れられないのに、少なからずショックを受けたのに、さほど幻滅もしなかった僕自身に、僕は今、幻滅している。 この世界に入ってすぐ。 僕は、清純派アイドルにだって、うるさく喋る芸人だって、"本当"はオフでもそうじゃない事もあるという事を知ったのだ。 流智くんは、すぐにボロボロと外面のお面を壊してくれた。 今なら、逆によかったのかも、とも思える。 変に"尊敬"が生まれる前で、よかった。と。 でも、僕はずっと、初めて会った時の流智くんが、忘れられずにいる。 どんなに高慢な俺様で、実は頭が悪いとわかってきても、レンズを向けられた流智くんは、やはりプロの顔をするのだ。 嘘だとわかっていても、初めて会った時の、あのイメージが消えなくて、レッスンや仕事を重ねる度に、流智くんは根本的には いい人なんじゃないかと、思ってしまう。 「オイ、」 「…いたっ」 すぱん、叩かれた僕の頭から、いい音がした。 控室の鏡越し、目線を上げれば、流智くんがいた。 「何ニヤニヤしてんだよ、気持ちわりい。次、お前の番だろーが」 「…流智くんは猫かぶるのが上手いなあと思ってただけですよ、心外だなあ」 「うるせえ、さっさと行」 「あっ、斉藤さん」 「ほら、次は碇くんの番だろう?早く行かないとスタッフさんも困るから…」 「と、思ったら土門くんだった…イタイッ!」 ちょっとふざけただけなのに蹴りって。ひどい。根本的にはいい人かも、は、やっぱり撤回しよう。そう思った。 "幻"の流智くんには、そろそろサヨナラをしないと、僕はまた、こんなろくでなしに、淡い夢を抱いてしまうかも知れない。 --- 100109. 》恋が死にゆく零時五分 僕との情事にひととおり満足したらしい流智くんは、寝る。と言って、そのままベッドに伏せた。 僕は、上がったままの息を整える事もなく起き上がり、ベッドから離れる。 先ほどの行為虚しく、冷たいフローリングに縮こまりながら、暗い廊下を壁伝いにお風呂場へ向かった。 目もなれて来た頃、電気もつけずにシャワーを出す。 暗い方がよかった。今の僕は、どんな顔をしているかわからない。 流智くんが僕に触れた感覚が、まだうっとうしいくらい身体に残っていて、熱を発しているようだった。 冷たい水を浴びる、その温度にまたビクつきながら、早く消えるように願う。 サアアア、と流れるシャワー音に紛れて、耳の中でリピートされるのは、流智くんの声だった。 僕はなんて、愚かなんだろう。 最初から、あの人の恋人だとかそういうモノになりたいなんてバカげた事は思ってなかった。今考えても、あんな救いようのないバカと正式にお付き合いなんて、したくはない。 でも、耳の奥で響く、ひどく欲を含んだ、いつもより低い流智くんの声。 碇、と、僕の名前、たった三文字が羅列したそれが吐かれた瞬間、僕は胸がぎゅう、と締め付けられた。 思い出すだけで、心のどこかが少しだけ満たされる。 でも、もしあの人が、僕を好きだと言ってくれても、たぶん僕は嬉しいとは思わないだろう。 何も生まない、最終点なんてどこにもない、そんな扉を開いてしまった上に、そんな現状が嬉しい僕は、あの人の次くらいに、バカなのかも知れない。 冷たい水を浴びた後の身体は、自主的に熱を持って、流智くんがくれた熱を追い出そうとしているみたいだった。 ベッドのある部屋に戻る。ギシ、と軋むベッド。まだ情事のにおいがして、息苦しい。 すやすやと寝ている流智くんに、高慢ないつもの姿はなくて、寝たふりなのかと鼻をつまんで確かめようとしたけど、触れなかった。 それでも、はだけた白い肩に触れる。 指先で伝うように撫でたそれは冷たくて、いつも体調管理に口うるさいクセに、風邪でもひいたら笑いモノだな、と思うと、思わず口元がゆるんだ。 流智くんの肩にも掛けるように、布団をかぶる。 行為中よりずっと薄れた、流智くんの香水の匂いが近くなり、嗅ぎなれたその匂いに眼を閉じた。その安心感と共に襲ってくるモノは、すぐに安心感だけを塗りつぶして、僕をただ惨めにさせる。 あの人のための涙なんて出るわけがない僕は、泣けない代わりに唇を強く噛み締めた。 こんな気持ち、早く、消えてしまえばいいのに。 --- 100110. 》血の味はどこか甘く 「わあ、すごい!」 碇くんはしゃぎ過ぎないでねー。 スタッフさんの笑い声を聞きながら、4人のために作られたスタジオセットに駆け寄る。 デビュー曲のプロモーションビデオ撮影の初日。 初めての、記念すべき日。 嬉しくないわけがなくて、僕はパンt…愛しいものを触るような手で、セットに触れた。 「いたっ…!」 急に、チクンとした痛み。 僕が上げた声に、スタッフさんが駆け寄ってくる。 碇くん大丈夫?と僕に声を掛けてから、セットを見回し、刺出てるよと叫んだ後、また僕に声を掛けてくれた。 下積み時代では、考えられないくらいの優しい扱いで、僕が少しだけポカンとしていると、後ろから手首を掴まれた。 「すみません、碇今日がすごい嬉しかったみたいではしゃいじゃって。ほら碇、僕が向こうで手当てするからおいで」 振り向けば、流智くん(エンジェルサイド)が居て、スタッフさんに頭を下げると、掴んだ手首を、ついてこい。と引く。 救急箱持って行かせるから、と言ったスタッフさんに、またすみませんと謝る流智くんに合わせて、僕も頭を下げた。 「何やってんだよ」 控室に戻ると、流智くんは真っ先にため息を吐いた。 すみません、と言うと、さっきよりも深いため息を吐かれる。さっきは感謝が浮かんでたのに、さすがにちょっとだけイラッとした。 「手ぇ出せ」 「え、いいよ。自分でやるから」 「いいから」 渋々差し出した僕の手を掴むと、指先にぷくりと浮かんだ、赤色をしたしずく。 「なんだ、軽いな」 「うん、だからいいって……っ!」 手を引っ込めようとするより早く。 こんなもん、舐めときゃ治る。と言った流智くんは、僕の指先を自分の口に運んだ。 ちゅ、と吸われて、ぺろりと舐められる。 「な、な、なに考えてんですか…!」 「あ?大袈裟な手当てなんか要らねえだろ」 「そうですけど…!?」 何さらっとやってくれてんですか、言おうとしたらスタッフさんが入ってきて、会話が切れた。 もう血は止まったみたいです。流智くん(エンジェルサイド)が言う。 じゃあ平気かな。言ったスタッフさんと、流智くんは一緒になって控室を出て行った。 それを背中で見送りながら指先を見つめると、さっきと違い、じんわりと滲んだ赤色。 「…止まってないし」 ぱくり、今度は自分で指先をくわえる。 ああさっき流智くんが舐めたんだっけ。そう考えながら傷口に舌を這わせた自分が、気持ち悪かった。 --- 100110. 》天使の輪 意識して見た事がなかったから、初めて気がついた。 移動車の中、目の前には、前の座席に座る碇(と蒼希彼方)の頭。 逆になんで今まで気付かなかったのだろうか。 艶やかな黒髪が、きれいなエンジェルリングを作り出している。 それはもはや、バナナマンか服部哲かコイツかと言ったくらいで、つい手が伸びそうになった。 さっきまでアイツと話していた蒼希が寝ているのはいい、助手席の土門も気にはしないだろう。問題は、たまにミラー越しに様子を伺ってくるマネージャーだ。 (まあ、じゃれてる程度か?) 「……っ!」 携帯をいじくっているらしく、うつ向いている所為で差し出された襟足に、静かに手を伸ばすと、碇の肩が跳ねる。 勢いよく振り向いた碇に近付くよう、オレは前の背もたれに腕を乗せた。 「なん…」 喋り掛けた碇の口元を、手でおおう。 目線だけで田中を合図すると、オレの手を外し、なんですか。と今度は小声で言った。 「お前、案外髪キレイだな」 「今気付いたの?」 「…ああ」 「毎日ちゃんとケアしてるんです。…流智くんももう少し髪に気を使った方がいいですよ、ほら、枝毛」 オレの髪を摘まみ、碇はふう、とため息を吐いた。 どんな見た目でも髪の毛さえキレイにしてれば人はそれなりに見えるんですから。余計な一言を付け加えて。 「オレ様は顔とスタイルでカバー出来んだよ!」 言って、碇を小突いてから気付く。 ハッとして、運転席を見ると、ミラー越しに田中と目が合い、オレは思わずそのまま碇の頭を撫でた。 「ほんと、さらさらで触り心地いいな」 碇の視線を横目に浴びながら、田中が満足気にニコリと微笑み、オレも微笑み返した。 前を向き直るのを見届け、ホッとしながら碇を見ると、明らかに呆れた顔。 「お前、その顔やめろ。腹立つ」 「じゃあ髪触るのやめて下さい」 「なんでだよ」 「なんでだよって、嫌だからですよ」 「いいだろ少しくらい」 はあ、もう知りません。前を向き、また携帯をいじり出した碇を余所に、オレはそのまま暫く髪の毛を指で遊んだ。 田中が土門に、あいつら仲良いんだな。と言っていた事には、気付かないまま。 --- 100110. 》無力な腕を嘆きましょう 胸で息をしながら、くったりとベッドに沈んだ碇の腕を引っ張り、オレの上に座らせた。 なに、流智くん。普段からは想像出来ないくらいしおらしい声で、今度はオレにくったりと持たれかかった。 汗ばんだ肌が、また吸い付くように触れ合った。 肩口に顔をあずけてきた碇は、眼をつむってただ、はあ、はあ。と息をしている。 最近のオレはおかしい。 どんなにむかつく言葉や行為をされても、こういうところを見てしまってから、その場でどんなに言い合おうと後からたいして気にしなくなった。 どころか、こういう時に、抱きしめたい衝動にかられるようになった。 碇の問いに言葉で応える代わりに、衝動に身を任せてみる。同じように肩口に顔を埋めて、腰から腕を回し、抱きしめた。 「…………」 碇は暫く何も言わないし、何もしてこなかったが、どれくらい経っただろうか、実際は数分もなかっただろうが、オレにはとてつもなく長く感じた、少しの間。 碇は、オレがまた腕に力を加えた後、そろり、オレの背中に腕を回し返してきた。 抱きしめたのはいいが、どうしようか。 普段と違う雰囲気は、背中がむずむずする。碇が、気持ち悪いだとかなんとか、しおらしく可愛くなんかなくていいんだから、言えばいいのに。 どうにかしたくて顔を少し離すと、同じように碇も顔を起こし、視線が絡んだ。 若干開いている唇に目が行った刹那、どちらからともなく、キスをしていた。 何度か、ついばむように交わし、半開きだった唇に舌で割り込む。 口内を愛撫するように、なめらかな行為だった。 どこで切ろうか、なんて頭に浮かばないくらい、まるで恋人同士かのように時間が経ち、ふと目を開けた。 目が、合った。 固まったオレを余所に、碇は途端に挑発的な目で笑うと、オレに追い討ちをかけるかのように、舌を吸って、離れていった。 碇は、口の端から垂れた唾液を指で拭いたが、オレはただ一息、飲み込む。 「…いつからだよ」 「ずっとですけど」 「それやめろって言ったろ。雰囲気のカケラもねえ」 「…それより、ねえ、また硬くなってるんだけど、これ」 「……責任取れよ」 「んっ、…うん、」 今また、オレの事が好きかと聞いても、碇はまた肯定も否定もしないんだろう。 早く認めればいいものを、ここまできてなんでそこまではぐらかすのか。 早く言いやがれ。と、悶々としながら思った。 やっぱり、最近のオレはおかしい。 --- 100111. up.100113/ |